REPORTS

レポート

2020.04.03

私が山梨にいてどうして東京の会社と仕事を始めたか。

私は22歳の時に上京して35歳まで東京でデザイン制作会社に勤務していました。そこから子供が生まれた関係で妻の実家がある山梨に移住してきました。そこから約一年ほど山梨の広告制作会社に勤務しましたが東京と山梨の給料の格差が大きくこれではこれからやっていくのは難しいと判断し、縁もゆかりもない土地でしたが無謀にもフリーランスとしてデザイン業を始めました。

田舎でデザインをしていく中で地域の観光系の仕事だったり地域の会社のお仕事だったりと自分の身近な所の仕事を積み重ねていくと仕事の反応がダイレクトに返ってきます。東京での仕事も充実してましたがエリアが広いためなかなか自分の作ったものの反応がわかりませんでいた。これから迎える少子高齢化の時代は地域が生き残る方法をどこの地域も模索しています。東京と比べれば金銭的にも恵まれていないため、広告を一つ打つのも死活問題に直結します。だから反応がダイレクトに返ってくるということはそれだけ責任が大きなものになって行きます。私は田舎で広告業を営むことの責任を肌で感じました。また、だからこれは東京でデザインするよりも面白いと思うようになりました。この地域をこれから活かしていくにはクリエーターと呼ばれる存在は必ず必要になってくると思いました。

冒頭の方でも触れましたが縁もゆかりもない土地でフリーランス業をやったため仕事があまりない状態でした。なので存在を知ってもらうため地元の商工会青年部に入ったり色々な地域活動に顔を出すようにしました。そこから少しづつお仕事が増えていくようになりなんとかやっていけるようになるまでになりました。私はそこで色んな素晴らしいご縁を頂き、素晴らしい人と出会いに本当に救われました。

そこで今度は私が地域にご恩返しをする番だと思っていたところに、むすびが始めた山梨県富士川町で行われた「まちいくプロジェクト 本菱」と出会いました。ここでは本菱のラベルのデザインから様々なツールを制作させて頂きました。そこから数年むすびとお付き合いしていく中で代表である深澤から「一緒にやりませんか?」と声をかけられました。私は最初は組織でやるつもりはなく自分と家族が生きていくお金を稼げればそれで良いかなと思っていました。しかし本菱の活動をしていく中でどうやったら本菱を日本や世界に認知されていくかを考えていくうちにこれを本菱だけに限らず自分の住んでいる町である南アルプス市をはじめ山梨全体の地域のことやそこで住んで働いている素晴らしい職人さんや会社さんの事を東京を皮切りに全国に広めていくことが出来るのではないかと思いました。これが私がむすびと一緒にやるようにした理由の一つです。

私は山梨に来てからフェイスブックなどのSNSを始めましたが最初は山梨で知り合った方が多かったのですが、むすびに加入してからは県外の人とも多く知り合うことができました。私の情報発信は山梨のことが多いのですがそれだけ他県に情報を届ける事が出来るようになりました。またむすびは「BRAND THINKING」というブランディング専門の情報媒体も持っているため、そこに山梨の記事をアップする事が出来るのも有難い話でした。

2つ目の理由は前段でも触れましたが地域を活性化させる為にはクリエーターの力は必要不可欠だと思います。だからこの地元に優秀なクリエーターを育てる場所や会社が存在する必要があること、そして出来るだけ地元に納税する事が必要です。山梨の広告単価は東京に比べたらかなり小さな金額です。これでは会社を大きくすることも雇用を生み出すこともできません。けれど東京や全国規模で業務展開をするむすびなら東京などから資金を集める事が出来ると思いました。

3つ目は私自身の成長のためです。地域で仕事をしているとその小さな世界でしかものが見れなくなってしまします。東京などの会社やその他地域の仕事はやはり刺激になります。洗練されたデザインやブランディングふれ、また様々な人たちの思考に触れ、自身を大きくしてくれます。

最後は代表である深澤のコピーライティング力とブランディングに対しての考え方です。前回の私のコラムでも触れましたがデザインをするためにはブランディングが重要です。地域活性化を考える上ではブランディングは欠かせません。そして文字の力も欠かせません。私が制作するものがさらにレベルをあげてくれる存在だと思いました。私の約25年この仕事に携わって来て様々なコピーライターとお付き合いさせて頂きましたがトップレベルのパワーがあるコピーを書いてくれます。これはデザイナーなら分かりますがいいコピーが上がってくると一段集中力と制作意欲が湧いて来ます。このコピーに負けないデザインをしよう、このコピーを最大限活かすデザインをしようという気持ちになって来ます。また代表の深澤と横内は山梨出身であったことも大きかったと思います。

最後に私がここまで地域の仕事を考えるようになったのは、ここで知り合った素晴らしい仲間の影響を受けた事もありますが、自分の子供に故郷を残してあげたいと考えるようになったからです。私は移住してきた事と私が生まれ育った場所には両親がいないと言うこともあり故郷というものがありません。移住してきたときは不慣れな土地で知り合いもいなく緊張がとれず大変でした。何度も生まれ育った所に帰りたいとも思いました。しかし私にはありませんでした。自分の子供が大人になりどこで暮らしても構いませんが何か困ったことや悩んだときに帰れる場所があるのと無いとでは大きな違いがあると実感しました。ここで流れた時間で本人が築き上げた友達や場所は本当にかけがえの無い財産です。人には原点に戻り自分のルーツを知る事が必要な時が必ず来ます。だから子供の故郷であるこの山梨県南アルプス市をデザイン・ブランディングという力で私は守って行きたいと思っています。むすびという会社は私にとってこの地域を活性化させる大きな存在であると言えます。
(岡谷)

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